about

本研究は,エビデンスベース人間科学(*)の確立に向けた取り組みの一環として,ビッグデータを活用した研究のための知識インフラを社会に提供するものです.本研究は,科研費補助金・基盤研究(A)(平成28年度〜32年度,課題番号:16H02015,研究代表者:矢野誠(京都大学経済研究所教授)の助成の下で推進されています.

近年,加速度的に高性能化する情報通信技術とセンシング技術を背景に,社会の様々な領域でビッグデータの蓄積が急速に進んでいます.こうしたデータの蓄積は,企業や個人などのミクロの行動様式と経済成長などのマクロの動きとのダイナミズムに接近する好機を提供するという点で,エビデンスベース人間科学の発展にとって重要な意義を有しています.

ミクロとマクロのダイナミズムは人文・社会科学の古典的テーマの一つであるにもかかわらず,従来のデータの解像度では十分な解明がなされてきませんでした.たとえば経済学では,1970 年代以降,マクロ経済の動きを消費者や企業の行動原理から説明する“ミクロ的基礎付け”が論じられてきました.これらの理論では,期待形成や情報環境の様態などについて独自の仮定を置くことで,消費者や企業の行動がマクロ経済の動きにどうつながるかを説明しようとしますが,当時のデータでは,これらの仮定のどれが,どのような環境でどの程度妥当であるかを実証することは困難でした.大規模ミクロデータを活用すれば,マクロ経済の動きがどのタイプの消費者や企業の行動にどう影響するか,そうした行動が集積することで経済全体の動向にどのような影響が及ぶかを解明することも射程に入れることができます.

しかし,エビデンスベース人間科学がこうした機会を十分に活用するためには,少なくとも以下の2つの点での対応が急務です.

第一に,民間企業が収集・蓄積したデータを幅広い研究者が活用できる環境の整備が不可欠です.公統計の管理を担ってきた政府などの公共機関と異なり,ビッグデータ収集・蓄積の担い手である民間企業にはこれを公開するインセンティブが限られています.とりわけ,本格的なIoT・人工知能時代の到来を前に,データ保有の戦略的価値はますます高まり,企業の競争上の地位に直結しかねない状況すら生じています.エビデンスベース人間科学の発展のためには,企業の置かれたこうした状況を踏まえた上で,一次データに関する機密の保持や汎用性の高い二次データの構築・公開などを通じ,幅広い研究者がビッグデータの利点を享受できる環境を整備することが重要です.

第二に,データの高度化に適合した新たな計量社会分析の手法を体系化することが急務です.とりわけ,計量経済学など従来の人文・社会科学の分析手法と機械学習をはじめとする情報科学の分析手法とを融合した新たな手法を確立することが極めて重要です.その際,構造モデルを現実に適用する演繹的な視点と,データから特性を引き出す帰納的な視点との往復により,両者の長所を活かした頑強な手法の形成が期待されます.

以上を踏まえ,本研究では,エビデンスベース人間科学を支える知識インフラとして,人々の消費行動に関する高解像のデータを活用した様々な経済分析を行い,その成果を広く内外のエビデンスベース人間科学の研究に供するとともに,データの高度化に適応するため,人文・社会科学と情報工学の分析手法を融合させた新たな計量社会分析の手法を模索することを目指します.

(*)エビデンスベース人間科学とは,数量的・統計的データに基づいて人と社会の関係を分析しようとする学問領域を指します.