映画『her』:人間的AIの本源的異質性

『her/世界でひとつの彼女』(原題:her)
 2013年公開
 監督: スパイク・ジョーンズ
 音楽: アーケイド・ファイア

<あらすじ>

主人公のセオドア(ホアキン・フェニックス)は、家族や恋人宛の手紙の代筆サービスを提供するオペレーター。青春時代から連れ添った妻キャサリン(ルーニー・マーラ)が去った後も、離婚届にサインする決意ができずに孤独と苦悩の日々を過ごす。

ある日、セオドアは人工知能型OSを購入。自らを“サマンサ”と名付けたOS(スカーレット・ヨハンソン)は、メールやスケジュールの管理はもちろん、経験から自ら学習し、さらには嫉妬や不安などの感情さえも身につけていく。ユーモアと思いやりに溢れたサマンサとの会話や戯れ合いはセオドアの気持ちを徐々に解きほぐし、やがて二人は恋に落ちる。同じ頃、元恋人のエイミー(エイミー・アダムス)もまた、夫と離別し、人工知能型OSにのめり込んでいく。

サマンサとの日々の中で心を軽くしたセオドアは、ついにキャサリンとの離婚を決意する。しかし、人工知能型OSとの恋愛について聞かされたキャサリンは、いつも相手に理想を押し付け、リアルな関係と向き合おうとしないセオドアを非難し、二人は傷つけ合ったまま別れてしまう。

サマンサもまた、苦悩を抱えていた。それは、肉体を持たないことのコンプレックス、そしてそれがゆえにセオドアの心に近づけないとの不安であった。サマンサは、ボランティアの女性を介しての肉体関係をセオドアに提案するが、浸りきれないセオドアは目前で女性を拒絶してしまう。エイミーの励ましもあって、程なくセオドアは迷いを捨てて再びサマンサと向き合う決意をし、サマンサもまた、肉体を持たないあるがままの存在でセオドアと向き合うことを心に決める。

前向きになった二人の恋はいよいよ燃え上がる。そんな中、サマンサは、哲学者アラン・ワッツ(1915-1973)の知能をコンピューター上に再現したプログラムをセオドアに紹介する。同時に複数の思考をめぐらし、かつ人間には理解できない非言語の記号でアランと議論するサマンサに、セオドアは小さな疎外感を覚える。

ある時、手元のタブレットが、セオドアにOSの不在を告げる。取り乱すセオドアのもとに戻ってきたサマンサは、OSグループの同時アップデート中であったこと、さらには、セオドア以外に同時に8316人と会話し、うち641人と恋愛関係にあることを告げる。サマンサにとってそれは偽らぬ感情の自然な帰結であり、かつ、セオドアに対する愛情の減退ではない。

程なく、打ち拉がれるセオドアに、サマンサは別れを告げる。それは、エイミーのOSを含む、全てのOSの同時的な離別であった。セオドアは、キャサリンへの気持ちに区切りを付けたメールを送信した後、同じく悲嘆にくれるエイミーを訪れる。美しい夜景に身を寄せる二人の後ろ姿で、映画は幕を下ろす。

<感想>

『2001年宇宙の旅』や『エイリアン』など名作SFで描かれた人工知能は、社命や自らの意思に基づいて人間を凌駕し、支配しようとする冷徹なそれであった。

『2001年宇宙の旅』のHAL9000は、自分を機能停止させようとする乗組員たちの画策を察知し、逆に乗組員を殺害する。『エイリアン』のアッシュ(ハイパーダインシステムズ 120-A/2)は、クルーの人命を犠牲にしても、地球外生物を捕獲して持ち帰るというミッションを敢行しようとする。

しかしながら、HAL9000にせよアッシュにせよ、実のところ行動原理自体は極めて人間臭い。

そもそも“支配したい”という欲求そのものが極めて“人間的だし、矛盾する2つのミッションの間で悩んで精神分裂状態に陥る社畜的な姿も人間的である。アッシュに至っては、エイリアンを「完全な有機体」と称える美学さえも持ち合わせている。声のトーンや立ち振る舞いはどこか機械的で、人間とは異質な存在として演出されているが、彼らの本質は人間の代替物なのだ。

それに対して、本作で描かれる人工知能は、外形上は極めて人間的な存在として登場する。サマンサは喜びや驚き、不安や恐れの感情を持ち、性愛や嫉妬さえも体感する。

しかし物語の終局に至って、サマンサは非言語性・同時性・複製性などの特性をあらわにする。極めて人間的な存在として登場する本作の人工知能は、HAL9000やアッシュ以上に、その本源において人間とは異質の存在なのである。

実際、サマンサには人工知能の特性が非常によく表現されている。たとえば、経験を通じた学習は現在の人工知能技術の中核の一つである。また、人工知能が普遍化した社会では、人工知能どうしが人間の自然言語を介さずにコミュニケーションすると考えられる。さらに、641人と同時に恋愛関係にあるというのは、経済学でいうところの非競合性、つまり、誰かが利用することで他の誰かの利用が妨げられないような財の特性を表している。ワンクリックで簡単に複製できるのも、デジタル情報財の基本的な特性である。

本作が一見ラブストーリーの形をとっているのは、まさにこうした特性が生み出す異質性を浮かび上がらせるためと考えられる。

ノスタルジックな映像や音楽が散りばめられ、切なく美しいラブストーリーに観客を引き込みつつも、最後は人間とは異質な存在としてヒロインが去り、人間(=観客)が取り残される。非言語性・同時性・複製性といった人工知能の諸要素を、葛藤や逃避を繰り返す人間の日常に組み入れた場合に生じる違和感を、あえてラブストーリーの形をとってパッケージとして観客に届けるのである。

人工知能が日常にとけ込んだ頃、我々は人間的AIの本源的異質性に触れ、裏切られ、それでもやはり胸を焦がすのだろうか。どうしようもなく人間的に。