Over and over…

PHOTO:京都・六角堂のスターバックスにて

研究会や講演のため、今日まで京都に滞在している。

昨日、京都大学での研究成果をまとめた本の原稿を校了した。
ゴールデンウィークには書店に並ぶことになる。

本の中身はおいおい紹介するとして、今日は、本の執筆を通じた考えたことについて、備忘録的に書き記しておきたい。

 

執筆にあたっての究極的な目標は、
1)自分なりに重要だと考える社会的課題を明確に設定し、
2)その解決につながるアイディアを提供すること
であった。

1)の課題設定については、自分としてはそれなりに満足している。3年前の京大着任の時から、世の多くの活動の課題設定が曖昧であることに対して強い問題意識を持っていた。活動自体がどんなにアクティブでクリエイティブであっても、最終的に解決すべき課題の設定が甘いがために、あるいは無意識のうちにそこから逃げているがために、本当に意義のある成果を残せない例は多い。もちろん、自分自身の過去の活動も含めてだ。

その点、今回は逃げることなく、しかも、実証的な裏付けを伴った形で、解決すべき課題をしっかり示すことができたと思う。

 

また、2)のアイディアについても、独創性という意味でかなりエッジの効いた成果を残すことができたのではないかと思う。ただし、実現可能性については必ずしも十分な検証を行わなかった。今回のアイディアを現実の社会に取り入れていくためには、技術的にも政治的にも乗り越えるべき点が多く残されている。

しかし、これは自分自身の選択の結果でもある。今回の研究では、実現可能性の領域にはあえて踏み込まず、むしろ社会変革のための原理を提示することに注力した。念頭に置いていたのは、J.H. Dales教授の1968年論文である。教授が論文で示した原理は、その後、国連や各国政府のキャップ・アンド・トレード型排出量取引制度として花開いた。

Dales, J.H., 1968, Pollution, Property & Prices: An Essay in Policy-making and Economics, Toronto: University of Toronto Press.

僕自身、このDales論文の延長線上に、政府で排出量取引の制度設計に取り組んだ時期があった。でも今回は、制度を設計する側ではなく、社会変革のための原理を生み出す方に取り組んでみたかった。 

思うに、原理の確立から政策の実現までのすべてを一人の人間が担う必要はないし、また、そうすべきでもない。原理を考える側の人間は、むしろ実践を忘れてそれに特化することが求められる。逆に、政策を実現する側の人間は、立ちはだかる制約を直視し、切り開いていく高度な政治能力と強い意志を体得している必要がある。

 

では、原理を考える人間には何が必要なのだろうか。

往々にして、目に見える事象と真理とは一致しない。真理を探りあてるためには、複雑な現実の事物から多くの要素を削ぎ落とし、高度に抽象化された特異な世界観を組み立てる必要がある。この世界観は現実そのものではないが、現実の中に潜むある種の本質を映し出すことがある。そして我々はそこから、現実に働きかけるための原理を引き出すことができる。

しかし、世界観を組み立てる作業は、自分にとって本当にハードなものであった。今回の本の場合、世界観の大半は、理論モデルの中に体現されている。他人から見たら稚拙かもしれないが、理論モデルを組み上げてそれを自ら解いていく作業は、自分を切り刻むような辛い工程だった。

何度も何度も行き詰まり、その度にやり直し、同じ場所をぐるぐるまわった。道が開かれたと思うのもつかの間、すぐに新たな難問に行き当たった。タイムリミットが迫る中で焦り狂い、追い込まれ、自分の力のなさに絶望した。

 

しかし、この辛い作業の中で、多くの気付きを得ることもできた。

一つは、久しぶりに、何かを創り出すということの重みを感じることができたことだ。ここで言う“創り出す”というのは、単に形にするとか作品を作るということではない。これまで世界に存在しなかったものを、新たに生み出すということだ。僕が本格的に創り出す側に回るのは、人生でこれで2度目だ。

傲慢な物言いかもしれないが、学問に限らず、芸術にせよビジネスにせよ政策にせよ、創り出す人間とそうでない人間との間には決定的な隔たりがある気がする。

決して、創り出す人間が偉いわけでも、創り出さない人間が偉くないわけでもない。それだけが人間としての価値ではないし、むしろ、創り出す人間は人間性が崩壊していることさえある。

ただ、繰り返しになるが、創り出すというのは極めて苦しい作業だ。だから僕は、分野を問わず、たとえどんなに小さな事であっても、これまで世界になかったものを生み出す人々を尊敬するし、僕も常にそうありたいと思う。

 

もう一つは、苦しみの先に見える景色について。僕たちは、自分を切り刻む辛い工程の末に、今の人類の知識や概念の外側に飛び出すことができる。そして、飛び出した先からは、世界が少しだけ違って見えるようになる。

その景色は、意外なまでに普遍性を帯びていて、美しいものであることがある。

だから、また美しいものが見たくなる。創り出したくなる。