コミュニケーションの渇望

「花と湯のまち」「◯◯幼稚園」「◯◯商事」・・・。

タンザニアでは、日本語が書かれたままの中古車が至る所で目に入る。本物の消防車にも、「◯◯消防署」と書かれていた。

アボガド畑の資金を貯めるためにロッジで働いていた男性に、この20年間で何が変わったか聞いてみた。彼は、間髪いれずに「コミュニケーションだ」と答えた。彼によると、ムカパ前大統領(1995-2005)の際に、各地で道路の整備が進み、安価な日本の中古車を大量に仕入れた。それが変化の大きなきっかけとなった。

ムカパが大統領になる前は、彼の故郷イリンガには、1日4回の乗り合いバスしかなかった。その前は2週間に1回。ニエレレ初代大統領のときは1ヶ月に1回だった。今は少なくとも幹線道路は舗装され、乗用車もトラックもバスも頻繁に行き来している。

「コミュニケーションだよ。コミュニケーションができれば商売ができる。会いたい人に会いにいける。ダルエスサラームに出稼ぎに出ても、体力さえあれば一日で故郷に帰って来れる。」

この男性の回答がタンザニア人の思いを全て代弁しているわけでは決してないし、コミュニケーションが活発化した裏側として、多くの負の側面が立ち現れていることも目にしてきた。

しかし、タンザニアの少なからぬ人々が、コミュニケーションを求め、自分の生活を変えようとしていることも確かだ。今、ダルエスサラームの町は、モンパサと並ぶ東アフリカの玄関口として大きく変わろうとしている。